萩往還、一味違う達成感と筋肉痛
2009年 05月 05日
5月2~4日、第21回萩往還マラニック250キロに参加してきた。
今年もあの感動と達成感を味わいたくて、懲りずに250キロにエントリーした。
目標は昨年と同じく完踏あるのみ、タイム的な目標は特にない。
気になる天候の方も、大会中は曇りの予報で、後半は少し崩れて雨が降るかもしれないが、
土砂降りな天気はなさそうである。
実際、大会中の天候は強い日差しが照りつけることもなく、
終日曇り空が続き、夜間の冷え込みも去年ほど感じず、
マラニックには最高のコンディションだった。
夜間の星空が見れなかったのは残念であったが、
あの夏のような日差しがなかったのはラッキーであった。
5月2日、11時過ぎ新神戸発の新幹線で山口に向う。
新神戸でお会いしたひげ親父さんと共に、大会説明会に参加して、
準備万端スタート地点の瑠璃光寺に移動する。
スタートの1時間以上前に到着すると、既に並んでいる人達がいた。
私たちもその列に加わり、前から3列目の第一ウェーブからのスタートとなる。
昨年は後ろの方からのスタートで18時12分の出発であったが、
今年はほぼ18時のスタートとなる。
小野会長も出発のセレモニー「エイエイオー」に参加されて、
いよいよ二晩徹夜の非日常の耐久レース、萩往還250キロの始まりである。
さすがに第一ウェーブの人達は気合が入っていて、皆さんいいペースで飛び出していく。
いいペースといってもウルトラマラソンであるから目一杯ではない。
走りやすい気候だし、体も調子良さそうなので、同じようなペースで追走する。
途中、信号待ちでひげ親父さんとは離れ離れとなり、
千畳敷で追いつかれるまで一人旅となる。
あまり時計を気にすることなく、前の人と同じようなペースで走り、
西寺交差点のエイド(44.0キロ)に到着する。
昨年は、寒さのためここでウインドブレーカーを羽織ったが、
今年はあまり寒さを感じず、重ね着をすることなくそのまま走り続けた。
西寺交差点のエイドを過ぎた辺りから、前後にランナーがいなくなり、
全くの一人旅となり、ペースが早いのか遅いのかよく分からなくなる。
そして、一人で走っていると本当にこのコースで合っているのかとても不安になる。
途中T字路で、コース案内の白線らしき跡が左折を示していたが、
あまりに不鮮明なのでコース案内の白線ではないと判断して直進した。
でも、次の白線を発見するまで不安でしょうがなく、
後続のランナーが来るまで待とうかと思った。
やがて、右折を示すハッキリとした白線を発見した時は本当にホッとした。
豊田湖畔(58.7キロ)のチェックポイントに12時55分に到着した。
昨年は1時39分に到着しているので、昨年より44分早い。
やはり、第一ウェーブの人達のペースと一人旅の時の走りで、
知らず知らずにオーバーペースとなっていたようだ。
太ももの疲労度も昨年と比べると高い。
走りやすい気象条件と勘違いのペース配分で、実力以上のペースで走ってしまったようだ。
豊田湖のエイドでは、おにぎりとうどんを美味しく頂く。
幸いなことに胃腸の方はすこぶる快調である。でも念のため「ガスター10」を飲んでおく。
胃腸薬はここで飲んだだけで、一昨年に比べると胃腸もかなり鍛えられたかな。
豊田湖を出発して俵山温泉を通過して砂利ヶ峠をほとんど歩いて登る。
峠を越えて新大坊エイドまでの下り基調のコースを走る頃には、
後ろからランナーが現れては追い越していく。
追い越されるばかりで、ややペースが落ちてきたことを実感させられる。
新大坊エイド(79.9キロ)に4時9分に到着した。
昨年はこの辺りで白々と夜が明けてきたが、今年は海湧食堂の手前ぐらいで夜が明けて、
ヘッドライトを収納した。
海湧食堂(86.7キロ)に5時10分到着。
名物のおかゆに塩をふりかけて食べたがとても美味しかった。
食堂前で靴下を脱いでディクトンをすり込みなおす。
まだマメはできていないが、左足の中指の爪が内出血して黒くなっていた。
夜が明けて前後するランナーの顔がハッキリと見え出すと、
やはり人恋しくなるのか、どちらからともなく話しかけ話しかけられる。
一晩を共に走ったという連帯感がそうさせるのか。
会話で気を紛らわせながらの並走となり、少し元気が戻ってきた。
昨年は日が昇るとたちまち暑くなったが、
今年はそんなこともなく時折涼しい風も吹いてすごし易い。
俵島では白線の案内どおりに進み、チェックポイントに到着。
かなり脚にきています。
川尻岬(107.2キロ)に8時35分到着。昨年は9時59分で1時間半ほど早い。
美味しいカレーを食べ、初ドライを飲む。
やっぱりビールは美味しいが、それも束の間のお楽しみ。
走り出そうとストレッチをしたら、太もも前面の筋肉が既に筋肉痛で曲げるのに一苦労。
川尻岬を出発して中盤の頑張りどころ千畳敷の登りとなるが、
この辺りから足の裏全体が痛く、体重を乗せるたびに不快な気分になる。
走るのも歩くのも苦痛となる、なんとも難儀な状態となる。
山登りが好きでトレイルランにもよく行く。
坂道を登るスピードは人並み以上だと思っていたのに、
この千畳敷までの登りでは、ことごとく追い越されるだけで、一人として追い越せなかった。
我慢の登りでようやく千畳敷(124.7キロ)に到着した。
ソフトクリームを食べてしばし呆然としていると、
ひげ親父さんから、「ようやく追いついた」と声を掛けられた。
ひげ親父さんと千畳敷からしばらく並走したが、私の方がついて行けず、先に行ってもらう。
黄波戸口での中学生の応援を受け、仙崎公園までの平坦なコースに入り、
歩きを交えながら15時29分になんとか仙崎公園のエイド(142.6キロ)に到着した。
鯨墓までの往復コースを今年はヘッドライトなしで行くことができた。
昨年最も神経を使った、むき出しの側溝のある車道を、明るいうちに通過できて良かった。
仙崎公園に帰る途中で、YOKKOさんにお会いした。
今年はまだ明るいうちにお会いして、YOKKOさんもいいペースで走られているようだ。
再び仙崎公園に19時10分に到着し、次の仮眠施設やお風呂のある宗頭を目指す。
仙崎を出て最初は走っていたが、途中から走る気力が湧いてこず、全くの歩きとなる。
ここでも一人旅でなかなか宗頭にたどり着かず、道を間違えたのか不安になる。
本当に間違えたと思い、通過した目印となる交差点まで戻り大会本部に連絡しようとした。
戻りかけしばらくすると、ヘッドライトの明かりが見えた。
ランナーが2名こちらに向って移動中で、この道で正解であった。
結局、2時間半ほどで9時45分に宗頭文化センター(175.2キロ)に到着した。
宗頭では昨年同様、1時間ほど仮眠するつもりでいたが、
先着していたひげ親父さんが10時半には出発するとのことで、私も同道をお願いした。
今回のレースでは、不思議と目が冴えて、
睡魔に襲われてどうしようもなくなるということがない。
仮眠しなくてもなんとかなると思い、着替えだけして10時半に宗頭を出発した。
時間的には余裕があるため、玉江駅までは歩きのみ。
昨年は、三見駅からの山道で夢うつつの状態となり眠気防止薬を飲んだが、
今年も念のため山道に入る前に一錠だけ薬を飲んだ。
玉江駅からは、まだ夜明け前の萩市内をチェックポイントの虎が崎を目指してひた走る。
萩市内に入ると、やけに元気に見える140キロのランナーとすれ違うようになる。
そして、ようやく夜が明けてきた5時15分に、
虎が崎のチェックポイント(206.3キロ)に到着した。
マラニック中、何箇所かでカレーを食べたが、ここのカレーが一番美味しい。
最後のチェックポイント、東光寺を目指してランニング。
私の頭の中では、走るのは虎が崎から東光寺、そして萩市内まで、
後は歩いてゴールしようと考えていた。
最後の走りのパワーを燃焼させてなんとか東光寺まで走り、
チェックシートに最終の東光寺でのチェックを入れる。
萩往還道を南下して、ゴールの瑠璃光寺を目指す。
昨年同様、萩往還道では他のコースの人達の応援を受けて、元気をもらった。
でも、太ももの筋力はかなり疲労している。特に太ももの前面の筋肉。
膝の屈伸をしてストレッチするが、両手で体を支えないと満足に屈伸もできない。
それでもだましだまし佐々並のエイド(235.7キロ)までたどり着いた。
3回目の萩往還で、初めて佐々並の豆腐を食べることができた。
ここまで来たら板堂峠を登って下りるだけだ。
でも、この最後の急な坂道をまともに下れなかった。
下りの衝撃を支える筋力が弱っているため、
ゆっくり体を左右に捻りながらでしか下りれない。
最後の力を振り絞り走ってゴール、15時16分に瑠璃光寺に到着。
タイムは45時間16分。
結局、レース中一睡もせずに2日間活動し続けたことになる。
序盤にオーバーペースで入り、後半つらい目にあったが、
萩往還のゴールは他のレースとは一味違う達成感がある、それと半端でない筋肉痛も。
来年もエントリーするかどうかは、昨年も一昨年もゴールした直後ではとても微妙(笑)。
そろそろ同じ時期に開催の他のウルトラに参加したい気持ちである。
道中一緒に走ってもらったひげ親父さん、ありがとうございました。
道中エールを送ってくたランナーの皆さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました。
by toshihi616 | 2009-05-05 00:01 | 大会参加 | Trackback | Comments(14)
最後の傾いた写真を見て,
やはり激走だったんだなぁと思います。
お疲れ様でした。そして完踏おめでとう!
来年は「さくら道」でしょうか?
ピースサインをして優しい笑顔で写真に納まるかねやんさんを見ていると、厳しさなど微塵も感じませんが、
それでもやはり凄い大会ですよね。
改めて尊敬します。
萩だけはなかなか出場しようという勇気が湧きません・・・・
わたしも、虎が崎のカレーが一番好き、オレンジがまた美味しいですよね。 ビールも飲みたかったけれど、ゴール後の楽しみにとっておきました。 でも、途中で少しは飲んだよ~。
帰りの新幹線は宴会でした、私は眠りたかったんですが。
ocさんへ・・・
あなたの若さと走力なら余裕ですよ。 コースそのものはocさんくらいの人にはそんなに厳しくは無いと思いますよ。
250kmの部の厳しいとこは他に・・・
ピヨピヨヒヨッコ初C参加の私としては、何をどうすると250という距離を走れるのか、尊敬するばかりです。
完踏おめでとうございます&お疲れ様でした!
ゴールの写真はスタッフの方に撮ってもらったんですが、体が傾いて写っていたのでびっくりしました。ほんとに左に斜行しながら走っていたかもです。
YOKKOさんの言うとおり、体力的には問題ないと思いますよ。ぜひ話のネタに。ところで途中で青ちゃんに会いました。余裕の笑顔でした。彼は来年きっと250キロにエントリーすると思います。
あっ、ここで仮眠したんやと思わずシャッターを押してしまいました。でも、不思議なことに今回のマラニックでは睡魔があまり襲ってきませんでした。脚の筋肉痛で絶えず刺激があったからでしょうか。
たぶん歩いていたと思いますが、左に傾いていなかったですか。私も初めて140キロに参加して、250キロの人の走る姿を見て、なんか近寄りがたいオーラーを感じました。bettyさん、70キロはどうでしたか。250キロの初ゴールの感動は素晴らしいですよ、いかがですか!
あはは、すみません!
でも達成感ってハンパでなく大きいのでしょうね。
味わってみたいような怖いような・・・
もともとのろい分、筋肉痛が起こっても我慢してるうちに治ってしまうし。
最後、ダム湖からの下りはフルマラソンくらいのペースでゴールまで走れました。って、どんだけフルマラソンのペースが遅いか?ってことですが、キャッ。
一定のペースを長い時間維持できるのは、ウルトラマラソンに適性があるということなんでしょうね。最後のゴールまでの花道は、白ゼッケンにはひときわ大きな応援がもらえて、しんどくても自然にペースが上がってしまいます。あれは萩往還独特のものでとても気分がいいですね。